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介護は愉しい!人生が嬉しい!!嬉しい人生の為の私の趣味 |
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| ● 温泉旅行 日常の煩わしさから開放されて、のんびりと両手両足を思いっきり伸ばし、わずかばかり,後頭部を湯船の縁で支えた状態で、目を閉じます。 そして深く息を吸い込み気持ちの全てを込めて、吐き出します。その瞬間の気持ちよさと言ったら,例え様がありません。まさに,至福のときと言っても 過言ではないでしょう。 家内が,生前まだ元気だった頃、かの有名な大分県の別府に、職場の保養施設がありましたので,毎月2〜3回は楽しんでおりました。
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| 温泉にもその土地特有の泉質があり、効能も夫々違うようです。この点も別途リンクでご紹介できればと考えています。 ● ゴルフ 私がゴルフを始めたそもそものきっかけは、職場の上司の強引とも言える勧めから でした。始める前は、止まっているボールを打って何が面白いのか理解できず、 逃げ回っていたのですが、そんなある日の昼休み、急に職場の近くにある練習場に見ているだけでいいからついて来いとのこと、 この日が私のゴルフ人生の始まりでした。練習場に着くや否や、入場手続きに始まり、そのほかゴルフの細かいマナーについてのレクチャーが始まりました。 一通り終わると、いきなり「はい、先ず短いアイアンて゛打ってみなさい。」「えっ? 見学だけの約束でしたけと゛」と抗議したのですが、聞き入れられず上司の命令に 従わざるを得ませんでした。 野球やソフトボールの経験もありましたから、止まっているボールが打てないはずは無いと, 始めは少々舐めてかかったと思います。ところが、クラブがボールに 当たりません.たまに当たってもとんでもない方向へ飛んでゆくではありませんか あの時の悔しさは今でも、はっきりと覚えています。あの悔しさが私をして、今の ゴルフ人生に引きずり込んだ元凶だと思っています。1965年の秋のことでした。 指導してもらった上司とは、今でも感謝の賀状ガ続いています。最初のプレーは あの悔しかった日から三か月ほど経った、富士の裾野にある朝霧高原カントリー 何故かトップのグループで、しかも打順まで最初でした。 28名7組の職場のコンペです。がやがやと私語を後ろに、私がスタンスに入った 途端、波を打ったような静けさ。全員の視線を痛いほど背に受けて、生まれて始めてのスウィングに入ります。あの時の緊張感は、未だに忘れられません。 あれから40年余り、ラウンドの回数も1000回を超えました。毎回のスコアカードには 一言メモと通し番号をつけて、大切に保存してあります。 ゴルフの醍醐味は、コースの設計者の意図を読みきり,其れに挑戦し、完全に征服すること、これに尽きると思っています。 ● 釣り |
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| 釣りの始まりは、ゴルフに、のめりこむ前、舞台は東京湾から相模湾に亘る一帯 でした。陸地からの投げ釣りもやりましたが,主に遊漁船での船釣りに凝っ ていました。 釣り上げた魚の種類を書き出してみました。キス・アイナメ・カレーに始まり、 ゴンズイ・エイに至るまでなんと74種類に上ります。 |
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| ゴルフを始めるに当たって、家族との 約束がありました。それは、釣りの回数、 を減らさないこと。 新鮮なお魚を今までどおり食べたいとの願いから、とり交わされた約束でした。 最初の数ヶ月はこの約束も守れたのですが、ゴルフに熱中するに連れて、釣りの 回数が減ってゆきました。 それでも毎月開かれる職場の例会には,欠かさず参加してきましたし 今でも弟のボートで楽しんでいます。 釣りの真髄は、まさに魚心に水心。 魚との対話を楽しむ事だと信じています。 |
(注:この写真は本人です。表情が 分からない程度のフィルターを かけさせていただきました。 ご容赦くださいませ。): |
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● 写真 私とカメラの出会いは、昭和21年、終戦後間もない頃にさかのぼります。当時は、 レンズも無く、ピンホールの手製の箱にポラロイドのフィルムを組み合わせただけの お粗末なものでした。 それでも、何とか絵になり、友達と見せ合っては、楽しんだものです。 大人になって、自分の給料で、本式のカメラが手に入ったときの感動は 忘れられません。毎晩、枕元において眺めておりました. その後のカメラ界の技術の発展は目覚しいものがありました。あっという間に アナログからデジタルへ、今ではフィルムネガの時代が懐かしく思われます。 御多分に洩れず、私もパソコンと連動するデジカメにぞっこん惚れ込み、それも ニコンのD50に始まり、D80・D100・D200とグレードアップして、現在に至っております。 普段、孫や子供たちのポートレイトには、コンパクトを使いますが、本格的に 絵を楽しむときは、必ず三脚とD200を車に積んで、出掛ける事とにしています。 最近ニコンからD300が発売になりました。一秒間に9コマの速写は魅力です。 また、悪い虫が私をそそのかしそうな、そんな気のする今日この頃です ● 模型 最初の始まりは、鉄道模型でした。私が5〜6歳の頃でしたから、戦前の話になります。裏に下宿していた中学生の兄さんが、縁側越しの8畳部屋で、鉄道模型の 車両を走らせていました。 模型飛行機に使う細い木の角材に枕木を接着した線路を繋いで、書籍で傾斜を つけた土台の上に敷き詰め、下りきった所にやはり同じ角材を精密に削り合わせて作ったポイント(分岐点)が、取り付けてありました。 車両はと言いますと、今みたいに金属の車両はありませんでしたから、木製の貨車 の2両編成です。車輪だけは何処で手に入れたのか聞きませんでしたが,真鍮製の ちゃんとフランジの付いた実物そっくりの車輪でした。 外で見ていた私に、「入っておいでよ」と声をかけられ、「はい!」とばかり喜々と して上がり込んだのを覚えています。適度の傾斜で、実物を思わせる2両編成は、 ゆっくりと走り出し、最後にポイントによって見事に左右に、振り分けられます。 今にして考えると、動力も無い傾斜を利用しただけの単純な仕掛けですか゛生まれて始めて見るその光景は、私の脳裏に強い感動を伴って、しっかりと焼きついて います。 まもなく、戦争が始まり、そのお兄さんとは、再び会うこともありませんでしたが、 このときの記憶が、私のセカンドライフに成った訳ですから、三つ子の魂とはよく 言ったものと考えさせられます。 本業を早期退職して、いよいよ夢に見た模型店の開業に向けて、準備に掛かり ます。都会であれば、鉄道模型に特化したニッチな店舗も可能なのですが、 宮崎と言ったローカルでは、条件が違ってきます。間口を広げるためにも、模型 全般を取り扱うことにして、開店までの一年間をそのための知識収集にあてる ことにしました。 特にラジコンの世界では、無線操縦の対象として、陸海空の全ての乗り物に精通 しなければなりません。中でも苦労したのが模型ヘリコプターの世界です。プロと して只部品などの販売だけではなく、操縦技術の指導まで求められます。 自分の思い通りに、離着陸やホバリング(空中静止)が出来るまで1年掛かりました その間に墜落破損した機体の数が5機、ヘリは飛行機と違い、一旦横倒しにでもしようものなら、高速で回転しているローターが簡単には止まってくれません。その間 地面をのた打ち回り、完全に破損し、金属の塊と化してしまいます。 本来、趣味と称されるものは全てに、奥深い魅力があると思います。経験してみて初めて気付かされるその魅力に取り付かれて、私は、商いを忘れてしまいました。 店の名前も○○模型店を廃止して、○○模型クラブと改名して同好の人達の集いの場として運営しておりました。 |
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