特別養護老人ホーム特別養護老人ホームと母の死 |
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☆特別養護老人ホームと母の死
特別養護老人ホームへの 入所のいきさつや 入所後の有様など詳しくご報告 しています 特別養護老人ホームで久しぶりに 母が言葉を口にしたときの感激は 忘れられません |
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前述の徘徊事件から数年が経過し、認知症の症状も日を追って悪化して、 自分の名前も年齢も、私が自分の息子であることすら認識できない状態と なっていました。 一日のほとんどが寝たきりで、三度の食事とトイレの世話、二日に一度の 入浴の手助けが、私と家内の日課となっていました。 そんなある日、弟が遊びに来て、この様子を見かねたのでしょう。自分の 住まいの近くに特別養護老人ホームが有り、そこに知人が勤めているから 様子を聞いてみるよと言ってかえってゆきました。 それまで何回か兄弟四人が集まった席で、母の特別養護老人ホームへの 入所については、話題になってはいたのですが、この後に起きた母の 骨折事故が老人ホームへの入所を決定付けることになります。 母が88歳を迎えた春まだ浅い3月の誕生日に、兄弟全員が集まり、米寿の お祝いをしてあげることになりました。母は、米寿の意味も理解出来ないまま、 何か自分の為にみんなが集まってくれて、お祝いみたいなことをしてくれている ことは分かったようでニコニコしながら、孫たちに囲まれて 嬉しそうにしていました。 その翌日のことでした。一人で室内を歩いていて、3ミリほどの敷居に躓き転倒、 身体的にも老化が相当進んでいたのでしょう。 救急車で外科病院へ搬送して、みてもらいました。 骨粗しょう症が原因の左足大腿部骨折で、即手術が必要との診断でした。 入院の手続きを取っている間にも、手術のための血液検査が行われ、 その結果、血液中の血糖値の値が異常に上がっていて、測定不能とのこと、 この状態では手術が出来ないので、さしあたってはインシュリンによる 血糖値の正常化を優先することになりました。 この間約一週間位でしたか、母の体は、ベットにくくりつけられ、骨折した部分を 牽引したままの束縛状態で、インシュリンの投与を受けながら、 血糖値の低下を待つことになります。 今にして思うのですが、この時に母が受けた肉体的精神的なストレスは、 退院後の認知症の進行を加速度的に早めたと思えてなりません。 手術が順調に終わり、2ヶ月ほどで退院の日を迎えましたが、自立歩行は 困難で、車椅子が手放せない毎日となりました。 母が元気でいた頃、私の内科のかかりつけで主治医の先生に、母の健康診断 をお願いしたことがありました。その先生が曰く 『お母さんの内臓は、珍しいくらい丈夫でいらして、これなら100歳まで長生き されますよ。太鼓判です。』そのとおり丈夫なのです。 夕食も一緒に十分なくらい食べます。 只その後すぐに、まだ食べ終わった食器も片付いていないのに、私には夕食を 出してくれないと怒り出す始末、認知症も末期の状態となってきました。 一事が万事とよく言いますが、認知症の介護には、 ちょっとしたコツのようなものがあることに気がつきました。それは、 母のことを真正面から見ないということです。少し視線をずらします。 そこに昔若かった頃の母を見出すのです。 そうすれば今の認知症が絵空事になってきます。 朗らかにやり過ごせるように成れれば、もうこっちのもの、毎日の介護が 楽しくなってきます。 そうこうしているうちに、半年の月日が流れ、心地よい秋の風が吹き始めた ある日の午後、弟からの電話が入ります。 弟の住まいに近い鹿児島県の姶良郡にある特別養護老人ホームに空きが 出来たので、母のことを申し込んでおいたから其の心算でいてほしいとのこと 妻とも相談して、この時点では、誰に介護してもらっているのか、自分が 何処にいるのかさえ認識できないで会話も途切れた状態ですからむしろ、 プロの介護士にお任せしたほうが、母にとっても幸せかもしれないとの結論で、 老人ホームへの入所を決断したのでした。 老人ホームの担当の介護士さんに、母の現状を詳しく説明し、集団生活には 馴染みにくいことや認知症の程度など、こまごまとお話し、くれぐれも宜しくと お願いして、その日は引き上げたのですが、その後の老人ホームでの 母の生活が気になり三日をあげず、見舞いに行くことになります。 初めは不慣れなせいか、なんとなくぎこちない状態でしたが、慣れてくるに従い、 昼食時など皆さんと一緒に食事の介護を受けながら『おいしいです』と絶えて 久しい会話が、出たのです。感激でした。このときほど特別養護老人ホームの 有難さを身にしみて感じたことは有りません。 その時から1年半、平成7年の正月を迎えます。母の認知症の症状は、 日増しに進行の度合いを深め、目は閉じたまま、声をかけても応答は無く 、かろうじてか細い呼吸のみが続いている状態でしたから、容態が気になり 見舞いに行こうかと思い立ったそのときでした。 弟経由で老人ホームからの連絡が入りました。肺炎を併発した母の容態が 危篤状態とのこと 早速、兄弟全員で老人ホームへと駆けつけました。近くの病院へ移された母は、 ベットに仰向けに寝かされ、意識不明の状態です。 声をかけても手足を動かしても、反応は無く、近くにたたずむ医師に 『何とかなりませんか!』との詰問に対しても医師の首は横に振られるのみ。 兄弟みんなが見守る中、母は静かに何の苦痛も無く、眠るように 黄泉の国(よみのくに)へと旅立って行きました。 「ご臨終です]と言う医師の言葉が,虚ろに何の意味も無く、頭の中が真っ白に なってしまった瞬間でした。阪神淡路大震災の二日前のことでした。 医師の死亡診断書には『老衰による多臓器不全」と書かれていたのを 記憶しています。人の脳も臓器と言う概念の範疇に入るのでしょうか 葬儀が終わって、母の位牌を仏壇に納め、手を合わせるたびに思います。 人は脳の機能が停止したとき、肉体的には確かに死を迎えます。その時、 人の全てが無に帰することになるのだろうか。自問自答の日々が続きました。 |
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